Sakamoto Mari blog

型染したり広告作ったり、いろいろしてます。最近は絵日記が多い。http://hikikoma.wix.com/sakamoto-mari

延岡宝財嶋玉町之図

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 10月1日に、亀井神社で秋のお祭りと伊能先生の講話が開かれました。今回、その講話での資料のデザインをさせて頂きました。
 約190年前に、方財海岸で行われた大筒射技演武の様子をを詳しく描いた絵図です。

延岡藩内藤家旧蔵「延岡宝財嶋玉町之図」(明治大学博物館蔵)
(一)年代
文政九年(一八二六)四月八日
(二)内容
今の延岡市街を流れ日向灘にそそづ五ヶ瀬川の河口にある方財海岸の砂浜で大筒の遠距離射撃を実演した様子を詳しく描いた彩色の絵図。
寸法三〇×四一五cm

 10月2日には、延岡中学校でも授業が伊能先生が行うということでした。カラーの資料があったらわかりやすいだろうなとのことで、パンフレットを作ることになりました。
 ずっと冊子作りで資料を読んだり絵図を見ていて知った気になっていたのですが、伊能先生の解説ですごく面白くまたわかりやすく楽しく拝聴しました。群衆がすごくいきいき描かれているのです。
 しかし1825年に異国船打払令が出ているので、幕府としては海岸防備等切迫したものがあったと思うのですが、民衆には関係なく楽しげなお祭りのような雰囲気があってなんだか絵図に描かれた人々が身近に感じられました。
 また、巻物というのもおもしろく、右から左に時間の流れとともに描かれています。いわゆる漫画ですよね。

内藤家の「下がり藤」の家紋入りの幕を張りめぐらした見物席で、いちばん左端に座る人が、当時の延岡藩主内藤政順(一七九六~一八三四)

  ……ということは……?と思い立って、

hikikoma.hatenablog.com

 神崎先生の本を開いてみました。充真院(充)さんは内藤政順公の奥方です。

充真院関係年表(年齢は数え年)

文化12年(一八一五)5月26日 政順(18歳)と充(16歳)、結納
          6月13日 政順と充、婚礼
文政2年(一八一九)6月26日 政順(22歳)と充(20歳)の長男誕生
           28日 長男死去
文政7~8年(一八二四~五)頃 政順(27~8歳)、体調不調(発病)

  大筒射技演武が行われたのは、文政九年(一八二六)四月八日なので、絵図に描かれている政順公は29歳。体調はこの時どうだったのでしょうか。それでも、砲術のものすごい轟音には驚いたのではないかなと想像が膨らみました。
 12月に方財海岸で大筒射技演武の再現をするそうなので、楽しみです。必ず行こうと思います。

 それから、ものすごい余談なのですがこの前NHKの特集ドラマを見ました。

www.nhk.or.jp

 おおまかに言うと葛飾北斎の娘が主人公の話なのですが、その中にシーボルトに依頼されて西洋の画風で絵を描くシーンが出てくるのです。依頼した年代は不明ですが、おそらくシーボルトが江戸へ行ったときではないかということだと思うのですが。

www.city.nagasaki.lg.jp

シーボルトの江戸参府

シーボルトは、1826年(文政9)、オランダ商館長の江戸参府に同行しました。当時の日本では、外国人が日本の国を自由に旅行することを禁止されていましたので、シーボルトにとって日本のことを調べる絶好の機会でした。旅の途中で植物や動物の採取をしたり、気温や山の高さをはかったりしました。また、多くの日本人が病気やけがの治療法(ちりょうほう)や西洋の知識を教わりにきました。 江戸では、将軍や幕府の役人にあいさつをしたり、多くの医者や学者に会ってお互いの知識や情報を交換したり、日本研究に役立てるための品物をもらったりしました。この旅行の時に集めた本や絵、いろいろな品物は、船でオランダまで送られました。シーボルトは、日本から帰った後に、調べたことを本で紹介したり、集めたものを博物館で見せたりしています。

 おー!1826年~!!!というわけで、なんだか時代が想像しやすくなった気がしました。歴史は昔とても苦手だったのですが色々なところで様々なことが同時に起こっており、そして現代まで繋がっていると考えるとものすごく長い旅をしている気分になってきます。